毘沙門堂

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宸殿にある動く襖絵が有名です。江戸時代の狩野洞雲の作といわれ、逆遠近法という技法で描かれています。非常に珍しいものですので楽しんでください。四季折々の晩翠園という庭も是非ご覧ください。

解説

日本全国に13しかない宮門跡の一つで、非常に高い格式を誇ります。日本仏教の母山である比叡山延暦寺を開いた最澄が、京都に都(平安京)を開いた桓武天皇のために刻んだ毘沙門天をご本尊とします。江戸初期(17世紀)に現在地に再興されました。境内は見事な枝垂桜の春や秋の紅葉、正月は大勢の参拝客ですが、一年を通じて落ち着いた雰囲気を味わうことが出来ます。特に見どころは、「動く襖絵」といわれる襖です。狩野益信(かのうますのぶ)の作で、見ている人が動くと、襖に描かれた机の向きが変わったり、船が進んで見えたりします。どの角度から見ても鑑賞者が中心になる逆遠近法という技法です。他にも天井龍や円山応挙(まるやまおうきょ)の鯉など動かないはずの絵が動くことが毘沙門堂の特徴です。秋には勅使門下の石段にモミジの落ち葉で真っ赤に染まり、「敷モミジ」として多くのファンがいます。

『篆隷文体』

5世紀の中国南北朝時代、斉王朝の第二代皇帝武帝の次男である蕭子良が編集したものです。日本には弘法大師空海が伝えたと言われ、当寺に伝わるものは鎌倉時代の写本です。現在の漢字の字体として、楷書・行書・草書・隷書などがあるが、それらに当てはまらない様々な書体を「雑体書」といい、非常にダイナミックな文字を見ることが出来ます。写本としては文字も達筆で、「仙人書」なる絵文字もそのまま読めるかは分かりませんが、表情豊かで面白く楽しめます。

『注大般涅槃経 巻第十四』

重要な仏教経典「涅槃経」の注釈書で、中国唐の韋諗により撰述されました。唐で撰述されたあと、日本にも奈良時代に導入され、聖武天皇時代に写経されていますが、元々の三十巻のうち残存しているのは六巻のみで、当寺所蔵はその中の一つです。毘沙門堂には経典を納める経蔵の他にも多くの藏を所有していました。現在の経蔵は千手観音をご本尊とするお堂で、北政所が寄進したと言われる不老長寿の弁財天を祀る弁天堂の手前にあります。本堂裏手から弁天堂の方向を見るとモミジも美しく、結婚式前撮りの人気スポットとなっています。

『紙本墨書洞院公定日記』

洞院公定は日本の南北朝時代(14世紀)の公卿で、常設職としては最上位の左大臣にまで昇進した人です。諸家の系図を集め『尊卑分脈』を編纂したことでも知られています。当日記は天皇家が南北朝に分かれ諸大名を巻き込んでの南北朝動乱の時代において、世の中の情勢をよく伝える資料としても非常に貴重なものです。
洞院公定の生きた時代には、毘沙門堂は山科ではなく、御所の東北にありました。その後の京都の戦乱(応仁の乱)で被災し、江戸初期(17世紀)に現在の地に移ります。歴代住職に多くの皇族を迎える名門寺院でありながらも、山科の奥座敷に位置する毘沙門堂は静かなお寺であり、本殿、霊殿、宸殿などが配置され、格式と心の安らぎを感じる寺院です。

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文化財情報

【時間】

9:00-17:00(受付16:30) 12~2月 9:00-16:30

【定休日】

【料金】

大人 500円   中高生 400円  小学生 300円 団体15名 1割引   身障者 250円

【外部リンク】

京都府観光連盟 

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